投影2青年期に成ると、子供はまずその影を両親(特に同性の親)に投影する事が多い。これも、もちろん両親の現実のあり方が関係してくる訳であるが、 思いがけず両親の影を発見して驚いた子供は、それに普遍的な影を混入させて、 両親を非難したり、批判したりする。 例えば中学校の授業参観、 大好きな大学出たところの男の担任に愛想よく応対する母親を見て 異性に対する未熟な気持ちから、 母親の態度に自身の個人的な影と 女性は若い男性に弱いという普遍的な影 を混同し母親の態度を批判的に見る女子中学生 しかし 、高校生になって母親と一緒にアイドルの話をすることで、 異性に大しての考え方を母親と話すようになると その時の母親の気持ちが少し理解できる ってことかな・・ ここでも、もちろん子供は投影の引き戻しに成功する限り、 成人として成長した事に成るのであるが、 影の発見が子供の自立への動きを促進する点に注目するならば、 人間の成長の有る段階には、必ず影のはたらきを必要とすると考える事も出来る。 影の規制で少し複雑なのは「白い影の投影」の問題である。 個人の生きてこなかった半面は必ずしも悪とは限らない 例えば、他人に対する親切さを抑制して生きて来た人は、 其の「親切」という白い影を他人に-例えば上司に-投影する。 この場合も、投影は現実を越えたものと成って、 ほとんど絶対的な親切心をその上司に期待する事に成る。 ところが、実際にその上司が期待通りの親切さを示さないとき、 -そんなことはできるはずがないのであるが-、 すぐにその人を不親切な人だと言って非難する。 このような事は案外多い。 白い影の投影は他人に良い面を期待するようにみえながら、 結局はその人をすぐに攻撃する事になるが、 その際も、当人は自分の責任と言う事、 自分の影を背負う事については、まったく無意識である事が特徴的である。 ややこしいね ジャンル別一覧
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